重田さ〜ん! 投稿者:森 まり  投稿日: 6月19日(木)00時14分47秒

富塚節子さんて、誰のことか判らなかった。重田さんだってことに、いま気がつきました。何度もお会いしているのに忘れちゃって。ゴメンナサイ。重田さんとも、どこかでバッタリ!なんて、あるといいのにな。人間ドックでもいいから。

暴露シリーズのライターの呼び名は、ニブロー君でも、寒郎君でも、なんだってかまいませんよ。でも、Sammy はちょっとねぇ。

別に、川井君の始めてくださったHPのせいばかりではないのだけれど、私も少し寝不足気味。来週からウィンブルドンも始まるし、早く寝ようっと。では、重田さん、おやすみなさい。


『寒ストーリーC』は? 投稿者:富塚節子  投稿日: 6月18日(水)12時39分47秒

熊井まりさんに 続いて私もー。♪たっぷりと40年前の10代を感じながら楽しんでます♪作者のニブロー君(当時一部の女子がつけたニックネーム)をこれからはSammyと呼ぶのですか?熊井さん。☆文中に登場のNくんとNOさんは今札幌にお住まいでもうお孫さんもいらっしゃる筈です。そんな事があったんですか〜?と改めてNくんNOさんを思い出してます☆50半ばを過ぎ まだまだ働き盛りの級友達。まさに 寝る間も惜しんでの 熱心なHPの書き込みは 気分転換するには 最高の場所かも知れません。くれぐれも寝不足で翌日のお仕事に障らぬように・・・ゆっくり 末永く・・・デス☆クル子さんが遅刻常習者だったとは。私もそうでしたが 呼び出しの葉書はこなかったわ。校門入った所に黒板が立てかけてあって そこに名前書かれてました。自分の名前を消して 急いで入ったものでした。傍に田中則先生がおられましたが・・・☆HPの管理人である川井君のエネルギッシュな暮らしぶりにいつ寝てるの?と問いかけてます。ゴルフのクラブの件ですが 我が家に眠ってるのあったのにー。これからはこのHPを利用しましょう。☆美人の話は・・・全く縁がないので(><)今日は これで・・・。


Re: 投稿者:森 まり  投稿日: 6月18日(水)11時19分02秒

いやはや、なかなかの高校生活を送られていたのですねぇ。いま、寒ストーリーを読んで、そういえばそんなこともあったなあ、とぼんやり記憶がよみがえって参りました。関西出張からのお帰りを首を長くしてお待ちします。

で、川井君のおっしゃる、人生の正道を真摯に堂々と、かつ平凡に生きてきた者のひとりとして、鬼気迫るストーリーテラーの居ぬ間に、書きこみ参加します。

田中氏が、私を覚えていたのは、ステキな後藤幸江さんといつも一緒にいたからだとか。う〜ん、複雑な気持ち。やはり美人の友だち持つのは、損か、得か...やっぱり得かな、覚えていてもらえるから。ステキな後藤幸江さんは男性群の人気は抜群でしたものね。中学校でも、後藤さんのファンはたくさんいましたよ。いまでいうところの、フェロモンが発散されていたのでしょうね。遠くへお嫁入りなさったと聞きますが、お元気でしょうか。

田中三郎さん(Sammy でしたね)が和光ウラのお蕎麦屋で見かけたというのは、私かもしれません。銀座に用事で出かけるとき、ひとりで入るのに都合がいいので、ときどき行きます。「利休庵」といって、働いている人たちが気持ちの良い店です。味はまぁまぁというところですが。お声をかけてくださればよかったのに。といっても、いきなり田中です、と言われても、判りますかねぇ。いい男に、突然声を掛けられて、驚いておそばをノドに詰まらせたかもしれないので、声を掛けないでくれてありがとう。でも、次に見かけたら、ぜひ、声を掛けてくださいね。

以前、聖路加病院の人間ドックで、三浦祥子さんと偶然一緒になったこともあります。これ幸いと、検査のあと、病院がくれる食事券(パン券ではないですよ)で、お昼ごはんをご一緒しました。楽しかった〜。来年も一緒にやりたいね〜、といって別れましたが、それ以来果たしておりません。三浦さん、お元気ですか?

美人の話にもどりますが、美しき人々は、やはり学生時代はバラ色だったのでしょうか? 非・美人(敢えてこう言わせてね)としては、楽しいことなどな〜んにも記憶にありません。いったいどんな素晴らしいことがあったのか、どんなに毎日がバラ色に輝いていたのか、いつか、ご本人たちからお聞きしたいなぁと思います。ちなみに私は、あの頃に戻りたいなどと思ったことは、一度もありません。試験と早起きは嫌いなもののふたつです。最近見なくなりましたが、試験がせまっているのに準備ができていなくて、焦っている夢をよく見ました。友人にその話をしたら、「そういうのを、優等生根性というのよ、いや〜ね」とバカにされました。早起きが苦手なので、ゴルフもやりません。先日の川井君のゴルフはすごかったですね。Yahoo Shopping で道具を、しかもあんな値段で買ってしまうなんて!

こんど生まれ変わったら、バラ色の人生を送るような美人に生まれたいな、と思います。美人たちには、それゆえにいろいろ大変なこともあると想像しますが、それでもいいと思います。


暮しの手帳 投稿者:川井 浩  投稿日: 6月18日(水)02時12分09秒

鬼気迫る山崎君の近況報告、田中君の大河長編暴露連続私小説などに圧倒され投稿をみあわせているかたがいらっしゃいましたら、ご心配なく。田中君はしばらく出張で不在ですので、彼の大河長編暴露連続私小説はしばらく休刊です。 
ところで、本掲示板は本来「暮しの手帳」を範とした、人生の正道を真摯に堂々と、かつ平凡に生きてきた皆様のコーナーです。 皆様の投稿でより豊かでVarietyにとんだHPになるように是非近況などをお聞かせください。 
山田宏君(3B)からは貴重な映像データをいただいています。今週中は大阪出張中で、
動けませんが、週末には彼の写真データをUploat予定です。(川井)


寒ストーリー B 投稿者:田中 三郎  投稿日: 6月18日(水)00時54分49秒

タイトルは自分で決めることにしました。日本語能力に問題のある川井さんには、まかせられません。野村萬歳→萬斎ではないでしょうか?
山崎さん・川井さん ドラマですね!!
私にはほとんどドラマらしいこともなく、今日があるのは幸せなのでしょうか? かつて、平凡に過ごし生きることは大変かつ幸せなことだと熱く語った、忍の親しき女性がおりました。そう語ったご本人の人生は、平凡ではありませんでした。
それよりも山崎さん、名前は何ですか?どっちの山崎さんかわかりません。

「1年C組での出来事」
・H原くんと私は、地理(?)の授業中に、高木藤樹先生から教室を出て行けそして今後の授業の聴講禁止が申し渡されました。理由は、授業の最初から不真面目であり、ニヤニヤしていたと言うようなことを言われました。しょうがないので教室を出て、門衛(こう言いましたよね)のところで時間を潰し、授業が終わってから許しを乞いに職員室に行きました。
・たった1年で、同じクラスから停学者を確か4名輩出しております。名前は言えません。理由はカ・ニ・グと試験前日夜に職員室へ入ったことだと記憶しております。私も危ない橋を渡りましたが落ちませんでした。この問題は、Mickyの担当です。
・軽井沢の林間学校では、次の二つのことを記憶しております。純情なヤツを男として独り立ちをさせたりしたことを覚えております。名前と内容はとても語れません。墓場まで持っていく話です。又、デブとノッポは強敵同士同じ娘に恋をした---などと歌にされMicky & Sub の二人がからかうのではなくからかわれたこともありました。
・当時忍は新校舎建設中であり、我が1年C組だけに校内放送することが出来たのです。そこで放送室に入り鍵を掛け、特定個人向けの放送をしたのです。そんなからかいやイタズラを毎日のようにしていたのが田村幹夫くんであります。このような点について、彼の頭脳は極めて優秀であります。
・田中・田村・Nくん・NAさん・NOさん・Sさん・Hさんで野猿峠(と記憶しております)へハイキングに行ったことがありました。目的は、NくんがNAさんと仲良くなりたいがためでした。あとの皆は、お付き合いです。今思うと馬鹿馬鹿しいですが、初めて女子と一緒のハイキングでしたのでうれしかったことを覚えています。Nくんは、NOさんと結婚したと噂に聞いております。今、どうしているのでしょう。
・1年生の正月(1964年)に、黒澤明監督の「赤ひげ」を渡部栄子・山田すみえ・田村幹夫・田中三郎の4人で観に行きました。若かった加山雄三を思い出します。

明日(今日)から二泊で京都・大阪方面に出張に付き、少しお休み。又寝不足になってしまった。
続く。


NHK教育テレビ 投稿者:川井 浩  投稿日: 6月17日(火)02時51分49秒

夕食後ゆっくりテレビを見るという習慣がなくなって久しいので、最近のはやり物には疎くなってしまいました。 その代わり、朝ごはんのあと、下の5歳の娘を幼稚園につれていくまでの小一時間娘と見る3チャンネルNHK教育テレビが面白い。 最近のヒットは野村萬歳(だとおもいますが)演じるところの狂言「ややこしや」。 娘もこれを空で歌いおどり、幼稚園に送っていったら幼稚園のそこここで他の園児たちが「ややこしや〜」と歌い踊っていました。 この歌詞が子供向けとはいえないほど含蓄があり、面白い。 
放送時間の変更により朝は見られなくなってしまった大好きな番組はグッチ裕三の「ハッチポッチステーション」。 彼の駄洒落は田中寒朗君並みですが、パロディー化して歌うOldiesの数々が最高に笑わせてくれます。 番組表で発見した方は是非一度ごらんあれ。 その日一日が楽しくなります。(川井)


戒名 投稿者:川井 浩  投稿日: 617()021141

改名とかきたかったのですが、戒名となってしまいました。それにもつかえるかもしれないとおもい、そのままにしてあります。田中三郎君の英文名前がSammy Tanakaとなったことから、本人の日本名も田中寒朗と改名することを提案したく。えっ、これもまた、寒い?(ヒュ〜)。そんじぁ、大河長編暴露連続私小説寒朗信士などという戒名はいかが?
(ヒュ〜、ヒュ〜)。 多分、わたくし寝不足です。 おやすみなさい。(川井)


Micky & Samはいかが? 投稿者:川井 浩  投稿日: 6月17日(火)02時00分39秒

田中様、小生の寝不足は貴兄の大河長編暴露連続私小説に起因しています。今日なんか昼飯を租借しても唾液も出ないくらいへとへとでした。高校時代と少しも変わらない寒い語呂合わせの駄洒落(ヒュ〜)の4打席3安打などまさに貴兄の真骨頂です。本来は貴兄が謙遜していつもMickyの引き立て役立ったなどとおっしゃるので、Sub-ManagerのSubをとってSubとしてみましたが、これでは確かに名前としては無理があるし、熊井まりさんに英文法上の誤りを指摘されても仕方なかったと思います。彼女が我慢してクレームしなかったのは彼女の武士の情けだったのだと感謝しております。
そこで、外人にもわかりやすく、熊井まりさんにも文法上の間違いの指摘を受けず、かつ、貴兄の好む方向性に適い、かつまた、小生のからかいの気分にもマッチするMicky & Samを提案します。もちろんMicky & Sammyでもいいとおもいます。えっ? どちらも寒む!あるいは寒い〜? 失礼しました!(川井)


ドラマチックな人生 投稿者:川井 浩  投稿日: 6月17日(火)01時37分40秒

山崎君、お久しぶりです。ようこそ、当HPへ。イントロに続く、ドラマチックな人生の展開には共感する点が多く、息を呑む思いで読ませていただきました。 私事ですが、小生はちょうど同じころ(1986-87ごろ)本来であれば不惑の齢に見事に惑ってしまい、14歳年下のスイス女性との恋に落ちてしまいました。ドイツで7年半駐在後、帰国命令が出たりして気持ちの動揺もあったのかも知れませんが、当然ですが禁じられた恋は燃え盛りました。帰国後の窒息しそうな職場の空気も、村八分的ないじめも体験し、追い詰められて、かえって社会に反抗的になっていったように思います。これが直接の原因かどうかわかりませんが、子会社などをたらいまわしされていることにも嫌気がさし、独立を決意してから6年がたちました。まだ会社は軌道に乗ったとはいえませんが、会社勤めのつまらないストレスからくる十二指腸潰瘍や胃の痛みは一切なくなりました。どこから手をつけてよいかわからない仕事と未処理の事項の山に呆然とすることしばしばですが、8歳と5歳のハーフの娘らのあどけないしぐさや笑い声を聞くと、すべての悩みや問題はごく些細なことであると感じてしまいます。彼女らが一人前になるまではのんびりとはできないと覚悟を決めています。結果として捨てることになってしまった国産1号の家内とは離婚が成立していません。彼女との間にできた2人の成人した子供(娘と息子)もいます。幸い、2人ともつらい時期を乗り越えてまっすぐ育ち、父親としてあってもくれています。やがては大人としてわかってもらえる時期がくればいいなと都合のいいことを考えていますが、それはどうなるかわかりません。
現実問題としては家のローン2件、生活費ダブル、妻2人、母親4人、収入半分、小遣いゼロ、バブルの時に買ったマンションの価値5分の1に下落などという恐ろしい現実がありますが、これでもやってみればなんとかできるもんですね。でも会社経営はいい加減にはできないし、事業に失敗すれば一家は路頭に迷い、娘らはサーカスに身売り、小生はホームレスになる運命。薄い船底の板一枚の下は地獄が深淵の口を待っているわけです。
でも、これは単に小生一人の特別な境遇ではなく、だれにでもごく普通に予期せずして起きる可能性のある事柄なのかもしれませんね。暗い日曜日(ダミア)がはやった当時のような世相がこんな暗い話題を提供してしまうのでしょうか。バブルの時には人がやがては死ぬものであるというようなことも忘れ、放蕩と浪費と虚栄にあけくれていたことを思うと、人の業や人生のはかなさを感じる今のほうが、健全なのかもしれないという逆説もまた、真なのかも。負け惜しみかもしれません。合掌。(川井)

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Micky & Sub」 No.2  投稿者:田中三郎  投稿日: 6月17日(火)00時45分25秒

川井様につけて頂いたタイトルを採用することと致しました。SubはSabu? SubよりSummyがいいかなあ?-----いろいろ考えました。(Micky & Summy)の方がオシャレですが、友情を優先し川井提案をとりあえず採用と致しました。命名ありがとうございました。
森(熊井)まりさんのご期待にそえるよう書いていきたいと思います。まりさんは、私とは全然違い英語に堪能であり、一時あこがれていた後藤幸江さんと常に一緒にいらしたので記憶に鮮明であります。2〜3年前の昼時に、銀座和光裏の日本蕎麦屋(店名不明)で似た方とお会いしましたがあの方はまりさんだったのでしょうか?
1年C組・D組には、在学中より卒業後の方が役に立つ方が多いのでしょうか?しでぇ--メンバーが多いと在学中から思っておりました。
このHPがスタート以来寝不足気味であり、仕事中にも時々思い出しうまくありません。サラリーマンとして、有終の美を飾るべくあと4年仕事に心血を注ぐつもりでおりましたのに、川井さんをうらみます。

さて本題の始まりです。
このような話の場合、他人の中傷というより悪口とか男女間の噂とかが古くなっても一番面白いのです。座高高いじゃない、格調高い管理者の意向に沿いませんが、若干のことは40年近い年月に免じて許して下さい。皆様未だ生存中につき、限度あり。ご安心下さい。
入学して何のクラブに入ったと思いますか?ミーハ-ですから当然、学園広場の花形だったテニス部であります。我が肉体には、ランニングとラケットの素振りは合いませんでした。その結果残ったものが二つありました。一つはボールを打つことなく素振りのみに使用されたラケット。もう一つは、テニス部員に対する対抗心・いわれなき敵愾心であります。内容はその後に入った演劇部のところで、お話したいと思います。テニス部の男子部員と演劇部男子部員ではあまりに違いが大きかったのです。女子から人気があり、好青年風が気に食わなかったのでしょう。テニス部員だった方には、ゴメンナサイ。
1年の夏休みから、田村と一緒にいつのまにか、演劇部員となりました。男子が少なく誰でも良かったのです。1年C組には、演劇部員が田中・田村・増子昌江・山田すみえ・渡部栄子の5名もおりました。1年D組の笠井由美子・重田節子がおり、C組・D組で一大勢力でした。
また、1年C組は生徒会活動にも積極的(でしゃばり)でした。私の記憶が正しければ生徒会役員選挙に、自薦組を中心に5名が立候補しました。田中・田村・村山欣一・森下喜一・横井文子で、当選は田中・村山・横井でした。生徒会長だった梅原道子さんに、よく叱責を受けました。あなたは何のために生徒会役員になったのか?真面目にやりなさいと。村山の欽ちゃんとよく比較されました。所詮タイプが違い、動機が違うのですから当然です。もっと正しく言えば、動機はなく面白半分ですから。過日告白したように、生徒会費で2〜3回だと思いますが、Micky & Subで夏休みに焼きそばとカキ氷を食べたことがありました。でも自分で払った生徒会費の範囲内であったと思いますが。どうでも良いのですが、食べた店は、忍を出て右へ300メートル位行った左側角の店でした。今はもうその店はありません。今思えば、かわいいもんです。田中・田村のしたことはその程度でした。

今日も遅くなりました。おやすみなさい。


 

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